クラブ・バナーの由来

 クラブ・バナーについて、那波光正初代会長は次のように述べています。

「東京北クラブから江東5区を分離して東京東ロータリークラブが誕生した。北クラブのチャーターメンバーであった私が東クラブに転じて、柄にもなく初代会長になることになった。私は何とかして良いバナーを作りたいと思った。
 そこで私は、
(1)日本のクラブであることから必ず日本語でクラブ名を入れてほしい。
(2)江東5区をテリトリーにするので、この5区に縁の深い隅田川と都鳥を象徴してほしい。

この二つを条件として、その図案化をメンバーの岩田久利君(ガラス工芸家)にお願いした。
そして今日のバナーが出来上がった。当クラブのバナーは、どこのクラブより、良い出来だと思っている。」
 なお、初期のバナーは、地紋のある絹地のもので、都鳥や隅田川の図柄、そしてクラブ名も刺繍されており、色も水の清らかさを表すため、深みのあるエメラルドグリーンに染めてあり、絹地特有の艶と相まって大変見栄えのあるものであった。

また、第14代会長の佐藤千壽氏は次のように述べています。

 我がクラブのバナーは、創立会員・故岩田久利君の作である。
隅田川以東の江東5区(墨田、江東、足立、葛飾、江戸川)を北クラブから分離して結成されたので、何と言っても我がテリトリーの象徴は隅田川である…そして隅田川と言えば先ず思い出されるのが、都鳥の古歌…そこで一目瞭然、流水模様に千鳥の図案となった。

くだくだしく説明するより「伊勢物語」の第九段…例によって「昔男ありけり…」で始まる東国への旅の物語、その後半を抜書きしてお慰みとしょう。

 < なほ行き行きて武蔵国と下総国とのなかに いと大なる河あり、それを隅田川といふ。その河の邊にむれゐて思ひやれば、かぎりなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに 渡守、「はや舟に乗れ、日も暮れなむ」といふに、乗りて渡らむとするに、皆人 ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折しも白き鳥の嘴と脚のあかき、鴫の大さなる水の上にあそびつ、魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ「これなむ都鳥」といふを聞きて

名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと

と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり >

(角川文庫より)