記念事業について

 当クラブが行ってきた事業の中で、何と言っても取り上げなければならないのは「隅田川の浄化活動」です。この活動については、「東京東RC50年史」に掲載された、パストガバナー 故神守源一郎氏の文章を抜粋して紹介いたします。

隅田川の浄化活動

神守源一郎

 その当時の隅田川は汚れきって悪臭を放ち、歩いて両国橋は仲々渡れぬという騒ぎ、柳橋、よし町に花街も、夏の宵だというのに窓もあけられないという位、悪評漸く高からんとしておった時であったので、そこをつかんで「隅田川の浄化」を天下に叫んでみてはどうかと考えついたのである。しかしこういうときは、何か一言で相手に強く訴える寸鉄の言葉がほしい。いろいろ調べてみると、外国では、こんなのを「環境保全」という言葉で表すことがわかったが、考えてみると、どうも意味が間接的で人に訴える迫力に弱く、且つ言葉が長過ぎて間がのびている。

 又この言葉は、環境が破壊される前に警告的な意味合のものともわかったので、これは真似することは止めにして、自分で考え出すことにした。「黒害」などはどうかと考える。意味はわるくないようだが、発音しにくい。「人害」はどうか。発想が平凡で訴える力に弱い。「公災」、「公暗」いろいろ出来たが、結局「公害」が直接的で一番よろしいと思った。当時そういう発想はなかったけれど、その言葉は使われていたかどうかわからない。しかし東RCで使ったときは、完全に東RC独得の造語で、断じて借り物ではなかったのである。

 そこで早速「東京の空の下、隅田川は匂う」という一文を草して、理事会の承認を経て、印刷1万枚、新聞折込として配布された。しかし余り反響がないので、今度は「公害を起こすものは誰か、その社会的責任」と題する相当長文のものを書き、会長幹事それに私とで大新聞社を歴訪して、「自家の表玄関前はキレイに掃きながら、何故そのゴミを裏の川に捨てるのか」という条りを説明したりして興論喚起に協力を求めたのであった(上記のたとえ話は2.3度ほど新聞紙上使われた)。

 さて興論の喚起もさることながら、有効な実施は何といっても官公署に求めなくてはならないので、二瓶墨田区長とも相談の上、更に問題を掘り下げて、「隅田川の浄化、公害の絶滅」と題する官庁向け文書を作成。具体策として、先ず、工場排水の検査、規制を第一とし、不取敢は荒川の水を隅田川に放流せしめよ、しかして水の汚れは酸素の不足によるものであるから、何等かの方法で水に酸素を注入する方法を考えよ、或いは諸々に滝を作って、川水に酸素を与えよ等々の発議書を持参して、川沿いの各区長、東京都知事、建設省に夫々陳情に行ったもんだ。相手はロータリークラブなるものが何であるか知らず、大変もの好きな人も居るもんだなあといった顔付きであったが、大変結構な御発案でと、体よく御引きとりをねがわれたりした。翌年の4月19日に開かれた東京5クラブ合同社会奉仕連絡会にも、那波、衣笠両君同道出席してこの問題を提起したが、結局黙殺されてしまった。

 この問題を更に有効的且つ啓蒙的ならしめるために、江東5区区民大会を開くよう画策してはどうか、などとも考えたが、何といっても、出来立てホヤホヤの新クラブが、そうまで政治的になるのはどうかと考え、又当時の一般世論のレベルは、文明の進歩には必然的に公害が起こり、己むを得ないものであるというような程度のものであったことも考え合わせ、これは実行しなかった。

 後年私がガバナーの折、東京RCの公式訪問の際講演した「ロータリーの職業奉仕と公害、企業の社会的倫理性」なる題目の下に、この隅田川の浄化運動のいきさつを述べたが、その際は翌日の日本工業新聞が大々的に取り上げてくれた。

 我々が熱心にこの運動を推進したからこそ、今日の隅田川が兎も角きれいになったのかどうかは知らない。しかし我々が最初にこの運動を起こし、大きく云えば、公害に対して日本最初の市民運動というか、啓蒙的反省運動を手がけ、金も殆んど使わなかったが、結局その目的としたことを達成できたことに、我々は大きな意義と満足を感じている。

『15年史』より抜粋