「時間の立体性」

野瀬純郎

 過日、あるクラブの例会にメークアップのため参加しました。隣席の会員が大変親切な方で、いろいろなことを話してくださいました。クラブ創立間もない頃のメンバの職業、昔の例会場があった場所の周辺の様子、 その後の社会の変化とそれを反映した会員数の推移、最近抱えている問題などなど、ゆっくりと反芻するような話しぶりでした。まるで40年来の旧知の間柄の会話のようでした。そのクラブに初めて顔を出した私がどれほど中身を受け止めることができたか、 はなはだ心もとない限りですが、時間にして20分程度の間に、そのクラブの歩んできた歴史と今ある姿が凝縮して、グッと私の目前に迫ってきたように感じました。
 私たちが何となく“時間”というものを意識するときは、自然に横に流れるイメージが浮かびます。後戻りできない、過去→現在→未来と直線的に続く流れです。私もプロジェクトのタイムマネジメントの中でスケジュールを策定、管理する際は、 当たり前のように時間を横軸で表します。ガントチャート(横線工程表)でもPERT(Program Evaluation and Review Technique)でも、時間は左から右に推移します。
 それで今まで何も不都合はなかったし、特に疑問を持つこともありませんでした。でも、先ほど述べたメークアップの際に感じた“時間”は、明らかにそれとは異質でした。そこで思い出したのが 映画監督・小栗康平氏がある本で書いていた『縦に行き来する時間』という言葉です。「画面の背後に退いてよく見えないもの、セリフにならないままただそこに《ある》もの、そうしたもろもろが、映画が進むにしたがって位置をずらし、 だんだんと前に出てくる・・・目に見えてある表面的な事柄、それらが一義的にもつ意味から自由になり、見えなかったもの、聞こえなかったものが前に出てくる。そうなればどんなにかすばらしいだろう。映画がほんとうに深さをもてる。 時間は横に流れるだけではなく、縦に、画面の奥と手前を退いたりせり出したりして、動く」と述べています。
 小栗氏のいう縦に行き来する時間とは、横に流れる時間の帯のある時点で、前後に動く奥行というものを表しているのでしょう。それに対して、私がクラブ例会で経験した時間はそのいずれとも異なります。何と言い表せばよいか、 思いついた言葉は昔数学で教わった『畳み込み積分(Convolution)』です。簡単にいえば過去から今までに積もったすべての変化が含まれる、その時点の値というような意味です。
 横に流れる時間が客観的に存在する形式とみなすと、縦に行き来する時間も畳み込む時間も主観的に感じるものなので、ごちゃ混ぜにするのは気が引けますが、確かに時間には立体性があると思います。立体的な時間を共有する、 それはすばらしいコミュニケーションではないでしょうか。初めて伺ったクラブで、初めて会う人とそれができた、それでこそロータリアンという経験でした。