「窮するだけでは通じない」

野瀬純郎

 『窮すれば通ず』という言葉があります。広辞苑では「行き詰って困りきると、かえって活路が見出されることがある」と説明しています。私も何となくそういうこともあるだろうなあと思ってきました。ですから事に当たっては、真面目に、一人称で、逃げない、さすればあとは何とかなるものだと、その程度で納得していました。
 ところが、どうもそんなふうに甘く考えてはいけないようです。出典は中国最古の書・易経で、「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず、通ずれば則ち久し」とあります。「窮する」と「通ずる」の間に「変わる」というプロセスがあるよというのです。「変わる」を省略して、困ったら何とかなると安易に考えてはいけないのです。窮して、そして変わることによってはじめて通じる。変わることが大事なのだということです。
 ところでこの「変わる」についてですが、昨今ニーズもシーズも目まぐるしく変化する不確実性の世界を生き抜くためには、変化する環境にいかに素早く、的確に対応していくかが勝敗の鍵をにぎる、という議論が多いですね。変化が常態の世界では、変わらなければユデガエルになってしまう、とにかく変わろう、変えようと浮き足立っているところがあります。
 しかし、ここでちょっと立ち止まって考えてみると、「変化すること」があるということは、一方で「変化しないこと」があるということでもあります。もっといえば、「変えてはならないこと」があるということです。「変えないこと」があって、はじめて「変える/変わること」の価値が出てくるといえるのではないでしょうか。ここが肝要ですね。
 京都に美濃吉という料亭があります。創業290年の、まさに指折りの老舗です。その老舗が、自らの使命を「伝統の京料理を革新し続けること」と謳っています。営々と培ってきた京料理をただ守っていくのではなく、さらに進化させたいと器、建物、庭まで含めた食空間づくりを目指して、日々変わることを積み重ねています。
 その弛まぬ変革の営みの中で、決して変えないことがあるそうです。それは「板前はすべて自前で養成し、子飼いの板前以外には包丁を握らせない」ということです。毅然として信念を貫く商人の目にはいつも「お客さま」が見え、心にはいつも「おもてなし」の思いが宿っているのでしょう。軸がブレないのです。
 ここで再び「窮則変 変則通」に戻って、私流の解釈をしてみたいと思います。窮すれば何かが変わるということは、とことん行くところまで行かないと変わらないということです。“窮”とは“窮める(きわめる)”と読みます。窮めなければ変わらない、逆にいうと変わるまで窮めろ、極限まで行きつくせ、ということではないでしょうか。そこで、これからは「窮めれば変じ、変ずれば通ず」と読むことにしようと思っています。変わるのはまわりの事態や状況だけでなく、自分自身が含まれるのは当然です。
 終りに神学者ラインハルト・ニーバーの祈りを記しておきます。「神よ、変えるべきものを変えていく勇気を私たちにお与えください。また変えてはならないものを守っていく心の落ち着きをお与えください。そして何にもまして、変えるべきものと変えてはならないものを見分ける知恵をお与えください。」