「色を感じる」

野瀬純郎

 ここに一個のリンゴがあります。赤いリンゴです。これは何ですかと尋ねると、誰でも「赤いリンゴ」と答えるでしょう。これが大層不思議です。何故“赤い”と分かるのでしょうか。一体“赤い”とはどういうことなのでしょう。
 昔、学校で次のように教わりました。「リンゴの皮そのものに赤い色がついているわけではなく、リンゴに当って反射した光のうち、波長が700nm近辺の光を眼球の奥にある網膜の視細胞が捉え、その刺激が電気信号に変換される。それが視神経を通じて脳へ送られ、大脳の視覚野と呼ばれるところのある細胞が反応して、はじめて“赤い”と知覚される。」実際にはそれほど単純ではないようですが、いずれにしても色は脳の構造物であり、外界に色が存在しているのではないということです。
 なるほど、色を感じる仕組みは分かりました。それではここにある赤いリンゴを見て誰もが“赤い”というとき、それはまったく同じ色なのでしょうか。みんなが感じている色は、実は同じとは限らないのではないでしょうか。これが私の疑問でした。各人の脳細胞の機能や能力がまったく同じなんて考えられません。
 中学生の頃、美術の先生が話してくれたエピソードを今でもよく思い出します。彼がイタリアに旅行したとき、気に入って購入したネクタイのきれいな色が、日本に帰国して確かめたら何か違うというか、くすんだ色に見え、がっかりしたという話です。明るい太陽が輝くイタリアと、湿気の多い日本では、同じものでも違った色に見えるのだなあと何となく納得したものです。
 少し調べてみますと、色彩を感受する機能は18歳くらいまでに一応完成しますが、その時期までに過ごした地域の特性に依存して、自然発生的、後天的に獲得される部分があるそうです。その地域特性には「気温」、「湿度」、「日照時間」、「土質色」、「自然光の緯度差」などの環境要因があり、私たちの色覚の形成と色彩の嗜好心理に大きな影響を及ぼしているそうです。例えば北日本は寒色系、南日本は暖色系、太平洋側は青色系、日本海側は濁色系が美しく見え、それに応じて色を感じる視細胞が発達し、自然に好まれるようになるというわけです。言わば色の方言のようなものですね。
 最近絵を描くようになって、「色を感じる」ことを強く意識することが多くなりました。日本の伝統色は470もあり、ひとくちに“赤”といっても赤紅、紅緋、猩々緋、紅、深緋、赤丹、紅赤、臙脂、朱、茜色、・・・と続きます。あらためて日本人の繊細な色彩感覚に感心しますが、ひるがえって日本列島が北半球に横たわる微妙というか絶妙といえる位置(緯度)が、色を感じる能力をこれだけ高めてきたのだと思うと、深い感慨を覚えます。
 ところが、白一色の世界に暮らすイヌイットの人たちは、雪の色を数十の言葉で表すといいます。われわれ日本人には単なる“白”だけです。やはり、人によって、その育った環境によって、色の感じ方はかなり違ってくるのですね。さらにいえば、色彩感覚はそれだけで単独に機能するのではなく、音や匂いなどほかの感覚と結びついており、またその時の気分や欲求、それまでの経験などとも結びついているのです。簡単に「このリンゴは赤い」というだけではまことに惜しい、複雑な世界です。
 先日ゴッホ展に行き、陽光あふれる南仏のプロヴァンス地方で描いた絵を鑑賞しているとき、彼の脳の中で感じた色と、もしその場にいたとして私の脳が感じる色は違うのだなあ、そうするとこの絵も二人の脳には違って見えるのだろうなあ、年齢や気分によっても変わってくるだろうし、一枚の絵からいくつもの異なるイメージが生み出される、それでいいのだ、だから面白いのだ、というようなことを取り留めもなく考えていました。