「オノマトペ」

野瀬純郎

 物音や物事の様子、あるいは動作、感情などを、感覚的に文字で書き表すレトリック(修辞技法)として、擬音語、擬態語というものがあります。いわゆるオノマトペと呼ばれるもので、ただ説明の言葉を沢山並べるより生き生きと、適切に表現できる効果が生まれます。例えば「澄酒をカリタ カリタ と傾けて」とか、「ぱさぱさに乾いてゆく心」などから、たちまち自分なりにウンウンと頷ける情景が浮かんできます。
 日本語は他の国の言葉に比べてオノマトペの種類が多く、日常の会話でもちょっとした文章でも、頻繁に耳にし、目に入ってきます。ある作家は「歩く」という動詞に関するオノマトペとして、「てくてく」、「のそのそ」、「へろへろ」、「わらわら」など43例もあげているそうです。豊かなひらがな文化を感じます。
 オノマトペ(onomatopoeia)は一般に擬音語、擬態語と訳されますが、言葉というよりは音響に近く、声に出すことでより一層無意識下のメッセージが伝わってくるような気がします。言葉(観念)になる前の、意味以前のところでとどまっているところに価値があるといえますね。
 日本語の美しさに強いこだわりを持つ文学者や作家の中には、オノマトペを幼稚だ、下品だと馬鹿にして嫌悪する向きもあるそうですが、私はその考えに与する気にはなれません。とはいうものの、マンガのページというページに溢れている擬音語には、少々辟易するところはありますが…。
 さて、オノマトペといえばみなさんよくご存知の2人の名前が思い浮かびます。ひとりは宮沢賢治、もうひとりは小林一茶です。最初に一茶の俳句を少し紹介します。
 「草山の くりくりはれし 春の雨」
 「うそうそと 雨降るなかを 春のてふ」
 「うつくしや 若竹の子 ついついと」
 「夕風呂の だぶりだぶりと かすみかな」
 「陽炎に くいくい猫の 鼾かな」
 いかがでしょうか。思わず顔がほころんできますね。わずか17音の小さな世界に、ややもすると冗長とも思えるオノマトペを大胆に配置して、浮き立つような律動感が生まれています。
 次は宮沢賢治です。とにかく、まずその独特の響きと感覚を味わってください。
 「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
 「まわりの山は、たったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって…」
 「地面の底から何かのんのん湧くようなひびきや…」
 「月光の虹がもかもか集まりました。」
 「山どもがのっきのっきと黒く立つ。」
 私は宮沢賢治のメッセージに耳を傾け、素直に心を開こうとする度に、自分は今までいったい何をしてきたのだろうという思いに押しつぶされそうになります。何か恥ずかしいような、居たたまれない気持ちになります。岩手という地域に密着し、農民の暮らしの中に深く身を置いて、さまざまな風土の困難、悲しみ、喜びを身に刻みつけながら、同時にイーハトーヴという普遍的なユートピアへのまなざしを持ち続ける。この2つの世界の間をゆらぎながら、何とか両者を結びつけたいという想いが、あのオノマトペたちを産み落としたのではなかったか、と思うのです。そして少しホッとします。
 ヒデリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルク彼の心象を想像し、正面から見つめようとすると、あまりにせつなくてうな垂れてしまいます。ですが、あのオノマトペたちの響きを聴くと、何とも言えない不思議な力を感じます。最後に「わが雲に関心し」という詩を紹介して終わります。オノマトペは登場しません。彼の本物の強さが垣間見えます。
  わが雲に関心し
  風に関心あるは
  ただに観念の故のみにはあらず
  そは新なる人への力
  はてしなき力の源なればなり