「モチベーション」

野瀬純郎

 最近、モチベーションという言葉をよく耳にするようになりました。それも電車の中や喫茶店などで、高校生や若い女性がごく日常的に口にしているのです。例えば「このケータイ、動きがもっさりしてモチベーションが下がるよ…」、「今日は暖かいのでモチベーションアップね…」といった調子です。何となく違和感を覚えて、気になります。というのも、モチベーションについて多少の拘りがあるからです。
 私は長年IT業界で、多くのシステム構築プロジェクトに携わってきました。みなさんご承知のことと思いますが、大きなITプロジェクトが当初計画(仕様、費用、期日)通りに完了することは、稀とはいいませんがかなり少ないのが実態です。50階建てのビル建設プロジェクトで、予算が2倍になりそうです、工期は1年延ばしてください、ついでに30階で我慢してもらえませんか、などという話はまず耳にしたことはありませんよね。ところがIT業界では珍しくないのです。失敗の要因は多岐にわたりますが、IT関連のシステム開発はまだ工業化の域に達しておらず、現場は40年前とほとんど変わらない労働集約型であり、人間(発注側も受注側も)のミスは避けられないということも大きな要因のひとつです。
 業界では長年に渡り、あの手この手で様々な管理手法とツールを整備してきました。緻密なルールを定め、厳しくチェックしてきました。しかし、所詮はマニュアルです。私は、社会もビジネスもITもそれぞれが激しく変化し、多様化が進む昨今では、作業標準を細かく定めてその実行を管理するだけでは、現場の本当の実態が掴みきれないのではないか、そのためプロジェクトがクライシスに陥るまで問題が顕在化しないのではないか、という仮説を立てました。そこで着目したのが“人間系”の問題です。
 今までプロジェクトを管理するに際し、あまりにもプロセスに視線を集中し過ぎたようです。プロジェクトを動かしているのは機械ではなく、疲労する肉体を持ち、ストレスに反応する生身の人間です。この人間のパフォーマンス(行動)はどういう仕組みで生まれるのか考えてみました。人間の行動を直接に喚起するものはモチベーションで、何かを行おうとする意欲は、その行動が自分にとって意味や価値があるといった気持から生まれます。そしてこの気持ちはその人の個性によって左右されるでしょうし、能力や心身の状態も少なからず関係してきます。このようなモデルに基づいて、プロジェクトメンバのモチベーション、個性、能力、体調などを客観的、継続的に観察することにより、プロセス管理だけでは見過ごされていた問題の芽を早期に発見し、大事に至る前に対応できないかと思案しました。
 それでは、行動を喚起するモチベーションを向上させるには、一体どうすればよいのでしょうか。アメリカの心理学者ハーツバーグは、モチベーションの要因には満足要因(動機づけ要因ともいう)と不満要因(衛生要因ともいう)があるという、2要因理論を唱えています。満足要因は達成感、他者からの評価・承認、責任感、仕事そのものの満足感などで、自己の成長や自己実現を望む内的欲求といえます。他方、不満要因は職場環境、給与、労働条件などで、いわば外的なものです。この理論で重要なことは、何らかの手段で不満を満たしても、ただ不満が無くなるだけで満足度は向上しない、つまり「不満要因の解消だけではモチベーションは形成されない。満足要因を重視した施策が有効である。」という点です。ひところ制服をおしゃれなものに変えたり、社員食堂を豪華にしたりと妙なところに力を入れたところがありましたが、それでモチベーションが上がり、生産性や品質が向上したという話は耳にしません。
 私はこのような観点からプロジェクトのリスクマネジメントをコンサルしてきましたので、冒頭の“軽いやる気”にモチベーションという言葉を使う場面にちょっと引っかかった訳です。もちろん軽いモチベーションも悪くはありません。まあ、大人気ないといわれればそのとおりですが……。ですが、マズローのいう5段階欲求のうち、いつもレベル1(生理的)とかレベル2(安全)ではなく、たまにはレベル5(自己実現)に繋がるモチベーションも話題にしてほしいですね。