「腹で感じる」

野瀬純郎

 人が外部からの刺激を感知する感覚機能といえば、まず五感が思い浮かびます。即ち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の5つで、それぞれの刺激に対応する目や耳などの感覚器官から情報を取り込み、脳のしかるべきところに届けられ、処理され、その内容や程度に応じて身体や精神が反応するという仕組です。この5つの分類は、その昔ギリシャのアリストテレスが言い出したものだそうですが、いまだにごく普通に使われていますね。少し考えてみればすぐ分かるように、人間の感覚がたった5つしかない筈がありません。体が傾いている(平衡感覚)、おなかが痛い(臓器感覚)、肘が曲がっている(運動感覚)など、そのほかにいろいろあります。そのいろいろについては今回は横に置いて、6番目の感覚について思いを巡らしてみましょう。そうです、“第六感”と言われるものです。
 第六感は言うまでもなく、先ほどの五感に対してそれらとはまったく別の何か、ニュアンスとしてはそれらを超えるものという程度の、素朴な考えによるネーミングでしょう。大辞林には「五感以外にあるとされる感覚で、物事の本質を直感的に感じ取る心の働き」とあります。相手が心ですから、科学的には存在も仕組も明らかにされていません。ですが、誰もが第六感というものがあることを疑ってはいないと思います。そういう私も然りです。
 さて、この第六感は一体どこで感じるのでしょうか。何を外部刺激としてキャッチするのでしょう。もしかしたら外部ではなく内部の刺激? 先ほどの辞書では心の働きとありましたが、脳のどこかの領域で処理されるのでしょうか。脳ではなくて、胸? 科学的に明らかにされていないのですから、この質問にきちんと答えることは今のところできません。ですから、あれこれ思いを巡らしてみたいのです。
 第六感のことを英語で gut feeling といいます。(もちろん the sixth sense とか、intuition という語もありますが…)gut は腸のことです。ギターの弦やテニスラケットのストリングをガットといいますが、ヒツジや牛の腸を使ったからです。そのガットです。言ってみれば“腹で感じる”ではないでしょうか。面白いですね。西洋のものの捉え方、考え方は分析と統合の一本槍で、どうも脳に偏っているのではないかという偏見を私は持っていますので、それが第六感は腹で感じるなどと聞かされると、ちょっと面食らいます。
 ところが、実は腸には多量の神経伝達物質が満たされていて、“第2の脳”と呼ばれています。人間の先祖はアメーバの原生的生物から進化して脊椎を獲得した時、頭蓋と腸の両方にそれぞれ別の脳を発達させたということです。何だ、やっぱり脳かということになりましたね。
 では、わが国はどうでしょうか。神経ペプチドがどうのこうのなどという西洋の理屈とはまったく無関係に、腹は特別なものとして意識されてきたようです。「腹がすわる」、「腹を決める」、「腹を合せる」、「腹を割る」、「腹に一物」、「腹心」など、単なる臓器以上の扱いです。「腑に落ちる」という言葉もあります。腹には“考え”や“心”が宿っているという思いが背景にあるのでしょう。ですが、腹で第六感を感じると思わせる言葉は見当たりません。
 腹と言えば丹田が思い浮かびます。臍の下3寸あたりにあるといわれますが、解剖学的には該当する器官は存在しません。この丹田、正確には3種類ありまして、眉間の奥が上丹田、胸の中央が中丹田、臍の下が下丹田と呼ばれます。普通に丹田というと、下丹田のことを指します。この下丹田は精をつかさどり、気を蓄えるところとされていて、残念ながら第六感とは関係がなさそうです。それに対して上丹田は第3の目ともいわれ、精神、意識、知恵を司るところで、第六感と少し関係がありそうです。実際、第六感は上丹田で感じるという記述を目にしたこともあります。しかし、興味は薄らぎました。何故なら密かに下丹田を期待していたのに、場所が頭脳に近い上丹田だからです。
 頭脳でっかちの西洋人が腹で感じ、腹を大事に思う日本人は腹では感じない、ということになります。面白いですね。いったい日本人はどこで第六感を感じるのでしょうか。あなたはどうですか?
 おまけ・・・柳田泰山先生曰く「書は臍で書く!」